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【映画レビュー】『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』【趣味人に響く】

目次

はじめに


PanTom2ndです。

今日は映画『日日是好日』の感想記事を書いていきたいと思います。

前々から気になっていた映画なのですが、やっと見ることができました。

感想を一言で表すと

趣味人の琴線に響く
年を重ねるほどに感じ入るものがある
という感じでしょうか。
 
 
それではさっそく映画の紹介からいきたいと思います。
 
 
挿入画像は【映画.com】より

『日日是好日』とは

 

【あらすじ】
「本当にやりたいこと」を見つけられず大学生活を送っていた20歳の典子は、タダモノではないと噂の「武田のおばさん」が茶道教室の先生であることを聞かされる。母からお茶を習うことを勧められた典子は気のない返事をしていたが、お茶を習うことに乗り気になったいとこの美智子に誘われるがまま、流されるように茶道教室に通い出す。見たことも聞いたこともない「決まりごと」だらけのお茶の世界に触れた典子は、それから20数年にわたり武田先生の下に通うこととなり、就職、失恋、大切な人の死などを経験し、お茶や人生における大事なことに気がついていく。(映画.comより)
 
黒木華さん主演。
 
2018年に亡くなられた樹木希林さんの最晩年の作品でもあります。
 
ッセイストの森下典子さんの自伝エッセイ『日日是好日–「お茶が教えてくれた15のしあわせ−』が原作です。
 
ちなみに「日日是好日」とは禅の言葉です。
 
文字通りの意味を取るならば
 
毎日が良い日である
 
そこから転じて
 
毎日を良い日とするために努めるべきである
今この時が大切である
あるがままを良しとして受け入れる
 
といった解釈もあるようです。
 
 

映画『日日是好日』の感想

 

この作品は万人にはおすすめできないかなあ

 

感想を書くにあたり、はじめにに抱いた思いです。

基本的に物静かなトーンで描かれますし、大袈裟な効果や表現がありません。

BGMや効果音も少なく、茶道における所作や自然の音がそのまま取り入れられています。

 

映画を見て大きな感動を得たい方やスッキリしたいという方には不向きな映画ですね。

 

しかしながら、

日々の生活に物足りなさを感じていたり、息が詰まってしまったりしている方には感じ入るものがあると思います。

元気がもらえるというよりも、心が浄化されるという感じでしょうか。

力強く歩くきっかけになるというよりも、自分自身の歩幅で歩みを進めてもいいと思わせてくれるというか。

この辺りの言語化は非常に難しいものがありますね。

 

趣味人の琴線に響く

 

作品内で印象に残っている言葉があります。

美智子は前に進んでいるのに、自分はちっとも進んでいない
いつ辞めてもいいじゃない。ただ美味しいお茶を飲みに来ればいいじゃない。
一言一句そのままではありませんが、このようなニュアンスの言葉でした。
美智子は前に進んでいるのに、自分はちっとも進んでいない


幼馴染の美智子は就職や結婚と自分の人生を自分なりの決断で進めていきます。

それに対して主人公の典子は出版社でアルバイト生活、お茶の稽古ぐらいしか続いているものはありません。

そんな現状維持の状態が続く典子は変化の多い美智子と比較し憧れます。

 

作中で何度かこの言葉が典子の口からですが、その度に

私は典子が羨ましい

と思っていました。

 

何年経っても変わらないもの、続けられるものの方が尊い。

そう感じている自分がいました。

 

典子は大学時代から何年もの間、武田先生の茶道教室に通います。

それは義務でもなく休もうと思えば休めるものです。

辞めようと思えば辞められるものです。

にもかかわらず先生の教室に通い続け、大切な就職試験の前日にも武田先生の家を訪れます。

 

それまでに自分の中で大きな存在となるものを持っていることは、そう滅多にないことなのではないでしょうか。

茶道は習い事ですが一種の趣味です。

そういった

長く付き合える趣味を持つ

ということを渇望している自分に気付きました。

 

 

いつ辞めてもいいじゃない。ただ美味しいお茶を飲みに来ればいいじゃない。


映画の中では武田先生が発した言葉です。

古参となり、後輩もたくさんできた典子は後輩の成長と自身の至らなさを比較し悩みます。

プライベートでも辛い経験を抱えていた典子は久しぶりに武田先生のもとを訪れ、その時にこの言葉をかけてもらいます。

 

先述した通り、趣味は辞めようと思えば辞められます。

しかし、その逆で再開することだってできます。

趣味とは辞める辞めないの次元にあるものではないということです。

 

原作のエッセイではこのシーンは典子の自問自答となっています。

映画と同様、悩みを抱えた典子は一旦茶道を辞める決意を固めますが、お茶をいただく中で思いを改めます。

 

また文中では

人間の心にもサイクルが存在すること
人の心も季節によって変化すること

が記されていました。

生きていると必ず浮き沈みがあります。

その中で自分がその時期に必要だと思うことを取り入れ、そうでない期間は休ませておくのも大事ですね。

 

そう思うと、作中に登場する干支の絵柄の茶器の意味もよく理解できます。

 
作中では茶道が取り上げられていますが、主人公典子にとっての茶道のような存在は個人によって異なります。
 
映画を見ながら、
 
自分にとっての”茶道”は何なのだろう
 
そういう思いを巡らしながら、そして
 
自分の琴線に触れるものを大切にしていきたい
 
と静かに、強く思いました。
 
 
 

年を重ねるほどに感じ入るものがある

 

趣味に対する向き合い方について考えさせられる一方で、この作品は主人公の半生を描いたものでもあります。

具体的な年齢は出てこなかったのではないかと思いますが、干支が何度か巡る描写がなされています。

典子が初めて茶道を習いに行ったのが大学生。

そこから20年以上は経過していることになります。

 

そうなると色々な転機を迎えます。

自立や家族を持つこと、自身や親の老いなど言葉には表しづらい将来の不安が描写されています。

そういった悩みは目前のものではなく、ただぼんやりとその時が来るまで付き纏ってきます。

 

エッセイでも映画でも、そのような機微をうまく切り取っていると感じました。

最後に

 

原作と映画の内容の乖離が大きいものはよく見ますが、この作品は原作を忠実に再現しようとしているのを強く感じました。

武田先生の年齢設定だけが異なっていますが、その他の展開や登場人物の言葉選びもほぼそのままでした。

 

 

私たちが過ごす日々は1日として同じ日はなく、もう2度と取り返すことのできないものだから

日日是好日

その日、その瞬間を良いものになる様に前向きに過ごしていきたい。

またそれだけでなく、

後悔のない様に過ごしていきたいと思わせてくれた映画でした。

 

日日是好日。

座右の銘になりそうです。

 

 

 

 

 

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